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何を病んでいるのかそれもわからぬ
判然としない
何にせよ辛うじて死ねないという境界を
踏み倒すだけの決断がないだけでただ彷徨って生きているにすぎない。
もし、誰もがそうだとするならば
生、というものがそもそもの負債に違いなく、新たな負債をつくることで暫定的に
以前の負債を相殺し存在しているだけなのだ
ただただ死ねぬ
また、生に実感をもてぬものにとっては
死ぬこともまた実感なき馬鹿げたことである。つまり物を手にしたときの空しさと同義で死ぬという行為もまたそれがそれに相応しいほどいざ舞台が整えばやはり絶望的なものでもなく感動的なものでもないから、この点において、まただらだらと生きてしまう羽目になる。
となると私がしなければならないのはリアリティを多く飾り付けることなのかもしれぬ
汚い小さな部屋、間延びした契約、死骸、回収できない
空白を埋められない…
自らのなかの全ての言葉は何ひとつ届くことはない
私はどうしたいのだろう
それが鏡に延々と反響し続ける言霊のように
わからぬままに彷徨っている
本当に生きるほど敏感になる
汚れ、醜さばかりが気になって息苦しい
わからない。わからない。何かを振り切ろうとしているのかもしれない
将来そう遠くない時期、結果的に私が死ぬことがあったとして
その要因は私の中の空白を埋められない。それにつきるのだと思う。先天的にその機能が欠落していた。埋める機能に関しても、埋まる機能に関してもどちらともが不十分であったと結論する。
多くの場合ひとが行うことにそれがおおっぴらに指し示しめすことに意味はない、寧ろ他のことにこそ原因を考えることができる。そもそも考えたくなかったり、向き合いたくなかったり、物事の本質を見抜くよりもその振りをすることで別の意味、自らのなかの意志を達成しようとする。
つまり表面に見えているものは全く表面自身と関係がない。といってさしつかえない。
よくそれがわからすコミュニケーションがうまくいかなかった。現に未だにそうである。
私には彼らが目を瞑って、あるいは耳を塞いで生きているように思えてならない。
毎日が雑音に支配されてまた先延ばしにしていくこと
彼らの住んでいる世界では私が拒んで先延ばしに生きているのだが…
ともかくも疲れた
どんな言葉も届かない。私の中の空白に実感を遺すことはなかった。
いつも一瞬にすぎないのだ。未来を知っているくせに。自由などと。
君も見たことがあるだろう国道をトラックで運ばれる豚を。あれが俺達自身なんだ。なんて汚くてみっともないんだろう。吐き気がして頭がおかしくなってしまう。でも、純粋な全てを剥き出しにしたその姿に近いものなんだ。その証拠に僕らの周りには常に消臭剤ばかりある。個体の個体自身の存在を否定する何かを含みながら生じてしまうことの困難さといったら。僕らは僕ら自身を否定する何かを消し去ろと必死で生活しているわけだ。来る日も来る日も
死にゆく剥がされたものをみてみる。