39

行為が行為として生起するためには、主体において責任の所在を措定することが可能かどうかが問題となる

主体は常に行為を託さなければならない存在である

行為が成功するにしろ失敗するにしろ措定できることは、それが措定できないことよりも優れて機能していると言わざるを得ない

そしてそれはある種のひとつの決断に違いない

だが措定できないことは主体にとって混沌をもたらす

要求の差出人、或いは宛先が不明瞭であると行為は完遂できない

それは行為が原因として想定できるものを必要としているからである

 

論理は完全に認識(言語etc.)に先立つ、認識は論理性を測る道具にすぎない

またそれ故に認識はまったく非論理まで生み出してしまう

 

行為が主体の中で成立するには因果性、論理的一貫性が必要だからである

則ちどのような認識もまた論理性を必要としている

主体が真であると措定できるような原因こそがリアリティをもたらすのである

 

出処、差出人の不在が認識によってもたらされる非論理性の不明瞭さを我々の行為の不成立に招くことになる

 

38

実際自由かと問うならば

全く自由ではない

相変わらず拘束されている

むしろそれは強まっている

いくら環境を変えたとしても

ついてくるだろう

なぜならそれは私という視点だからだ

わたしがある限り影はあり続ける

 

しかし影を排除したわたしなど私といえるのだろうか、不可能だ

 

36

何か削ぎ落とされた

いわゆる美しさを追い求めて

多くの空間がそのようになって

鑑賞者や顧客がこぞってそれに

浸れるとき

私は本当に宇宙の果てしなく遠くのほうへ

飛ばされてしまい虚しさを抱かないでは

いられなくなる

 

なぜだろう

一体何がそう感じさせるんだろう

34

模範的な幻想、健全な幻想、構造化された機能的な幻想を抱くこと

 

逃避は不道徳であること

律法、即ち暫定的な契約状態を侵犯することなくそれを遵守し続けること

 

そのコードに沿って生きてはいるが、そもそも根本的な契約関係を理解できていない

 

歪な契約関係、

非機能的な秩序の中

にいることの煩わしさ