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あらゆる瞬間、関係する瞬間、

どのような仕草や些細なコミュニケーション、挨拶や会話中の相槌のイントネーション、ジェスチャー、会議で意見を発言することも或いは聴くことも全て含めて

総て

翻意は一つの意味に集約できる。

つまり「私はある!」という終わりのない確認作業である、存在存立の証明の企てでしかない、、、。

デカルトは「我おもう故に我あり」といったがむしろ存在の存立を巡る構図はデカルトのコギトが他者の存在との関係性のうちに自己を位置づけていないのに対して存在は他者を前提とする意味で事実上、

私はあるということを証明するためにあらゆる認識や発信(内的なものを含めて)によってより確固たる存在を証明しようと足掻く行為の空転のようなものだ。

私は私という存在が存立していることを日々証明し続けなければならない。