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行為が行為として生起するためには、主体において責任の所在を措定することが可能かどうかが問題となる

主体は常に行為を託さなければならない存在である

行為が成功するにしろ失敗するにしろ措定できることは、それが措定できないことよりも優れて機能していると言わざるを得ない

そしてそれはある種のひとつの決断に違いない

だが措定できないことは主体にとって混沌をもたらす

要求の差出人、或いは宛先が不明瞭であると行為は完遂できない

それは行為が原因として想定できるものを必要としているからである

 

論理は完全に認識(言語etc.)に先立つ、認識は論理性を測る道具にすぎない

またそれ故に認識はまったく非論理まで生み出してしまう

 

行為が主体の中で成立するには因果性、論理的一貫性が必要だからである

則ちどのような認識もまた論理性を必要としている

主体が真であると措定できるような原因こそがリアリティをもたらすのである

 

出処、差出人の不在が認識によってもたらされる非論理性の不明瞭さを我々の行為の不成立に招くことになる