106

どうやれば納得のできるかたちだと言い切れるのか

現実を生きればいいと人は云う  

人が認識する現実と私が認識する現実がまったく異なるものである

 

彼らが抱く現実とはプロパガンダ同様、定着した物語である。あまりに馴染みすぎて既に考えるにも値しないもはや始まる以前の前提として捉えられている。

 

あらゆるメディアがそれぞれの文法によって

一定の物語を創作するようにこれまでは筋書きはそれで結構だったのだろう。

 

しかし、自らがこれから信じていかなければならない物語が一体何によって支えられているものかをよく考えねばならなかった。

 

恐らく、既存の物語は破綻する。それを観ることもできなくなるのであろうし、そのような様式は意味を成さなくなる。