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弁証法は誤解されている

それは異なる概念どうしをそれらが属している概念で包摂するといった手法だと認識されている。

敵対する概念を乗り越えるには、すでに存在する既成の概念での包括を考えるのみでは、(異なる概念を同じフォルダに整理するだけでは)概念の全体における位置付け、新たな解釈を生み出すことは永遠にできない。

 

ただそのままで分裂状態は解消もされないし

とくに何が変わったわけでもない。解消されないフラストレーションだけがのこる。

 

弁証法というものがあるとすれば

それは言語学でいうような共時的なものが通時的に変容するように文節が組み替えられるかたちでしかありえない

現行のものを破壊し書き換えを行う必要性があるのだが、当然のようにそれを拒むのは旧世代の権威だと断言できる。彼らは論理が正しいか機能性の問題を直視するつもりはない。それらは完全に個人的な自己の確立のためのみのために新しき機能を、或いはそれが真理にしろ拒み続けるのだ。

彼自身の確立が揺らぐぐらいなら世界が停滞しても全く構わないということらしい。