解決してよい問題と
解決してはならない問題がある
必ずしも全ての不快感は解決されなければないわけでは決してない
簡単な例として強迫神経症者の洗浄恐怖などがある
汚れているという意識が彼のタスクを増やすこと自体が彼の全ての生活を破綻させるリスクを生み出す
彼は1日の大半を洗うことに拘泥するのだ
洗浄は生活の極一部分に過ぎないのに僅かなそれが全てを停滞させる
つまりはある種の状況を解決しないことが我々を存立させる機能の一つとして内包されていることになる
葉の為に根を枯らすわけにはいかない