78

当初、目的というものは存在していない

認識あるいは行為が空間的意味でも、時間的意味でも、二点を二点にして相違を確定させるときにはじめて主体において目的は生み出されるといっていい。

論理は浮き彫りにすることが可能となる

言語、知覚認識、数学、あらゆる道具という道具によって

77

何を病んでいるのかそれもわからぬ

判然としない

何にせよ辛うじて死ねないという境界を

踏み倒すだけの決断がないだけでただ彷徨って生きているにすぎない。

もし、誰もがそうだとするならば

生、というものがそもそもの負債に違いなく、新たな負債をつくることで暫定的に

以前の負債を相殺し存在しているだけなのだ

 

ただただ死ねぬ

また、生に実感をもてぬものにとっては

死ぬこともまた実感なき馬鹿げたことである。つまり物を手にしたときの空しさと同義で死ぬという行為もまたそれがそれに相応しいほどいざ舞台が整えばやはり絶望的なものでもなく感動的なものでもないから、この点において、まただらだらと生きてしまう羽目になる。

 

となると私がしなければならないのはリアリティを多く飾り付けることなのかもしれぬ

汚い小さな部屋、間延びした契約、死骸、回収できない

 

空白を埋められない…

自らのなかの全ての言葉は何ひとつ届くことはない

私はどうしたいのだろう

それが鏡に延々と反響し続ける言霊のように

わからぬままに彷徨っている

本当に生きるほど敏感になる

汚れ、醜さばかりが気になって息苦しい

 

わからない。わからない。何かを振り切ろうとしているのかもしれない

 

将来そう遠くない時期、結果的に私が死ぬことがあったとして

その要因は私の中の空白を埋められない。それにつきるのだと思う。先天的にその機能が欠落していた。埋める機能に関しても、埋まる機能に関してもどちらともが不十分であったと結論する。

 

多くの場合ひとが行うことにそれがおおっぴらに指し示しめすことに意味はない、寧ろ他のことにこそ原因を考えることができる。そもそも考えたくなかったり、向き合いたくなかったり、物事の本質を見抜くよりもその振りをすることで別の意味、自らのなかの意志を達成しようとする。

つまり表面に見えているものは全く表面自身と関係がない。といってさしつかえない。

よくそれがわからすコミュニケーションがうまくいかなかった。現に未だにそうである。

 

私には彼らが目を瞑って、あるいは耳を塞いで生きているように思えてならない。

毎日が雑音に支配されてまた先延ばしにしていくこと

 

彼らの住んでいる世界では私が拒んで先延ばしに生きているのだが…

ともかくも疲れた

 

どんな言葉も届かない。私の中の空白に実感を遺すことはなかった。

いつも一瞬にすぎないのだ。未来を知っているくせに。自由などと。

君も見たことがあるだろう国道をトラックで運ばれる豚を。あれが俺達自身なんだ。なんて汚くてみっともないんだろう。吐き気がして頭がおかしくなってしまう。でも、純粋な全てを剥き出しにしたその姿に近いものなんだ。その証拠に僕らの周りには常に消臭剤ばかりある。個体の個体自身の存在を否定する何かを含みながら生じてしまうことの困難さといったら。僕らは僕ら自身を否定する何かを消し去ろと必死で生活しているわけだ。来る日も来る日も

死にゆく剥がされたものをみてみる。

 

 

 

 

 

75

陽炎

 

かつての幻

過ぎ去った記憶の痕跡

憧憬、心象の轍

虚無、空しさに消えてゆく輪郭

停滞、延々とつづく時間、時間、時間。

引っ掛かりがない

何度も繰り返し湧かぬ実感

虚しい嘘

 

過去を鍋でぐつぐつ八時間煮ようが 

壷の中に大切にいれておいたら次にあけるときには一度は腐り、そしてひからびて、醜悪が出来上がる。

吐きもどしてはかき集め、あまりにみすぼらしい私を不思議そうに見つめる寒々しい皆の目はわたしの心臓を剃刀で切り裂くのだ。

 

「…でも、いいんだよ」

何がだ?

一体何がいいんだ…?聞き飽きた

 

契約の合意と破談

止まることを知らない彼等

決着をつけてくれやしないだろうか

だらだらと流れるコマーシャルをもう

眺めたくないんだ

 

 

 

 

 

 

 

74

自己に責任をもてとはつまるところ自らに対する責任なのだろう、自己とはそれに留まらず操作できる存在であるという錯覚

 

何か「私は私ではない」と吐露しているようにも思える。跳躍した思考がそこにはある、

常に「ここではないどこか」という構造も同様に

自己ができる、行える、実行することが可能であるということが主体に自由な選択は可能であるということを錯覚させる

実際は必然にして行われることを知らずして

まだ主体は抱く、自由に意志することや選択の権益があるのだということを。

 

そもそもの思考形態というものが飛躍でしか有り得ないのかもしれない

それはつまり一つの事象は別次元の別物に同時にできうるのだという思考に基づいている

 

ひとは量子力学的な思考しか行えないといえるのかもしれない

73

自己が自己自身を滅ぼす要因を

必ず含む

ナルキッソスを滅ぼしたのは彼の美ではなく

また彼がそのような美に惹かれたのでもなく、実は彼が彼であるというそのこと自体に惹かれているのではないのか

それこそが何よりも彼を滅ぼすことを望んでいるのだとしたら

71

誰もが他者よりも優れたものであることを証明するために日夜頭をかきむしって生きている。あらゆる依存的形態をもって非自己に対してあらゆる種類の否定的手法をもって優位を獲得しようとする、、

そもそも対等な交換など存在しない

与えることは即ち相手に自らの優位性を表すし、施しを拒絶することは相手の優位性を拒絶することに他ならない

だからこそ相手の気分の良いように施しを断ることはなかった、、そうして内心それら彼等の依存は益々増えて彼ら自身の中に穴を穿ってゆくのだろうと感じてはいた、、、

 

受け取る振りはして、それを踏み倒す、

 

対等な交換というものが双方どちらもがそれぞれに得をしたものと思い込んでいるわけであるから等価交換は実質有り得ない

優位性をいかにして為すか